ガイド船の船長を始めたい人へ。私の生い立ち高校時代

初めてのブラックバスを釣ってから間もなく僕は中学生になります。平日はプロショップ(以下釣具屋)に入り浸り、休日は釣りばかり。そんな中学生でした。でも相変わらず魚は釣れません。

 

この頃の写真も実家に帰って探せばあると思い、いい機会だし実家に帰ろうかなぁと言ったら、奥さんから「それが今一番ダメな行動」と一喝。その通りですハイ。という事で写真少なめでお届けしようかと思ってたら、ブログを読んだ妹がたまたま実家にいるとのことで送ってくれました。妹サンクス。

近所の用水路にて人生3匹目ジグスピナー。ここまでは覚えてます。

 

バスが釣れなくたってバスプロになりたいという思いは大きくなるばかりです。バサーやバスワールド、タックルボックス、ロッド&リール、雑誌をくまなく読むことはもちろんですが

進路が近くなるとこういう本も読みだすようになります。バス10匹釣ったことあるかないかで。でも本人はいたって本気だったんです。バスプロになりたい、その思いだけはどんどん大きくなります。

 

一方でどうしたらいいかがわかりません。担任の先生もバスプロになる為の進路なんてわからない。ということで、自分で考えた答えは地元の工業高校へ進みます。何となくリールとかエンジンとか機械いじれるようになってた方が釣りするうえで都合がよさそうという安易な発想です。

 

高校へ進むと友人に「週末は休み」というウソに騙され、サッカー部に入部してしまいます。釣行回数は今までより激減してしまいましたが、結果として今でも付き合いのある友人が出来たことは大きな財産だと思います。途中でやめるのは嫌だったので、話が違うとは思いつつ結局3年間続けました。

 

ちなみにサッカー下手くそなのでレギュラーではありませんでした。何となくわかるとは思いますが一応(笑)

 

高校在学中は、部活が休みの日に釣具屋さんのお客さんに色々なところに釣りに連れて行ってもらいました。

 

 

中でも霞ヶ浦にバスボートを持っているお客さんに乗せてもらった経験は今でも貴重な経験だったと思っています。月1、2ペースくらいかな?そのくらいで連れて行ってもらいました。

 

 

当時船舶免許は15歳9ヶ月で取得できました。(たしか)

ボートは買えないけど免許が欲しい!と15歳10か月で、部活をこっそり休んで船舶免許を取りに行ったことを覚えています。免許あったってボート貸してもらえるところまで自分で行けないのに(笑)

 

免許を取ったらあとは現場まで連れてってもらえれば一人で釣りができるようになったので、また父親にわがまま言って連れてってもらいます。今も昔も父親にはわがまま言いっぱなしだなぁ。ちなみに当時はエレキも免許必要でした。

 

写真はたしか芦ノ湖!バズベイト投げるとわらわら出てくるのが楽しくて一日投げてたんだよなー。やっぱりよく覚えてますね(笑)

 

そしてついに高校の進路に差し掛かります。個人的にはヒューマンフィッシングカレッジへ進もうと考えていました。この時点でも漠然とバスプロになりたい、釣りを仕事にしたいという思いは変わりません。でも専門学校はお金かかるしどうしようかなぁと。とりあえず就職しながら自分でお金稼いでトーナメントに出るか!

 

しかし、そのことを釣具屋さんの店長に打ち明けると

『そんなヒューマンなんかに行く金もったいないから、フリーターになって自分で釣りの勉強しろ。就職なんかしたら釣りに行けなくなるぞ。釣り具メーカーに就職なんかしたら余計に釣りに行けなくなる。釣りの事ならおれが教えてマスターズプロくらいにならしてやるからフリーターになれ』

と言われ、当時その店長を信じていた僕は、その言葉を信じなんとフリーターになる決心をします。

 

今となってはどうでもいい事なんであえて言いますが、僕は高校では結構成績優秀、部活も3年間続け、委員会などの活動も3年間行ったので総合的に見てかなり優秀な生徒でした。それがフリーターやりだすなんて言うもんだから先生はさぞ困ったと思います。3年生になってから毎日進路指導室呼び出されて怒られてたなー。当時の先生にも申し訳ない思いでいっぱいです。

 

さてさて、雲行きが怪しくなってまいりました。

ついに僕の暗黒時代の幕開けです

 

続く