ガイド船の船長を始めたい人へ。私の生い立ち黒歴史多重債務者編

ガイド船の船長を始めたい人へ。私の生い立ち黒歴史の始まり

場所は利根川沿いの農道。お金のない僕は下道最速で行ける道で霞ヶ浦へ向かっている途中でした。慢性寝不足で早く現場に着いて寝たいという事もありぶっ飛ばしてました。でもご存じの方もいらっしゃると思いますが、この道100km/hで走ってても追い抜きされるような道です(笑)

 

車の免許がなくなり、自分勝手に釣りに行けなくなりました。高校生の時に逆戻りです。何も出来ていないから何かしたいでも何もできない。この頃からなるべく人目を避けて生活するようになります。友達とも会いません。電話が来ても出ない、メールが来ても返しませんでした。

 

それでも釣具屋には通い続けました。ちなみにこの頃から釣具屋にお客さんはほとんど来ていません。というのも商品がなかったのです。おかしな話ですが仕入れを全くしていない釣具屋でした。買うものがない、だからお客さんが来ない。たぶん仕入れが出来なかったんだと思いますが。

 

それに加えて店長も釣りに行かない状態でした。病気?ケガ?今となっては真相は分かりませんがひとまず釣りに行かないのです。僕が学生の時は少なくとも釣りに行ってました。そして、魚をよく釣ってました。だからこそ信じていたのですが…。いずれにせよ、情報も商品もないお店でしたのでお客さんは来ないお店になってました。

 

釣りには数少ないお店のお客さんの後輩に連れて行ってもらいました。でも釣行回数は激減です。ちなみに欠格期間というのですが、免許は取り消しになると再取得できない期間があります。僕の場合は1年です。1年間何をしていたか、バイトと空いた時間は全て釣具屋さんのお手伝いです。お手伝いはもちろん無償ですが、この頃はそもそも釣具屋さんに行っても、やることがなかったことを覚えています。でも行かないと怒られる。無駄意外何物でもない時間でしたが、もはや自分の意思ではなく怒られるから行くという風に変わっていきます。

 

ちなみにこの頃は写真がありません。自分の写真を撮るときってきっと人生が上手くいってると自分が感じてる時なんだなと思います。そんなこといちいち意識してないですけどね(笑)

 

須江庄三郎丸で釣ったシーバス

 

欠格期間が過ぎ免許を再取得すると海へ行くようになります。はじめはシイラから。これ庄治郎丸で石井さんに撮ってもらったなー。

 

釣りに行けるようになった。そしてこの頃もう一つ変化が起きます。仕入れをしない釣具屋さんの

店長がルアーを作るようになります。ハンドメイドルアーです。そしてこれの購入を強制されるようになります。確か月48000円だったかな?謎の定額制でした。ちなみにルアーが出来上がっていなくてもお金の支払いは強制です。出来上がったら渡すと。

 

須江芦ノ湖で釣ったレインボー

 

このルアーがマジで釣れません。いろいろ作るのですがどれも釣れません。でも釣って来いと怒られます。釣れないのはお前の腕が悪い、他のルアーで釣れたってそのルアーで釣れないのは釣りを理解していない証拠、プロだったらルアー渡された瞬間釣り方がわかるけどお前にはわからないんだな、とひたすらののしられ購入と使用の強制。この頃から魚があまり釣れなくなります。写真は芦ノ湖でコータックのスプーンで釣った一匹。既製品のルアーを投げると良く釣れました。でも他のルアーで釣ることに罪悪感を感じるようになってきている時期です。

 

結局釣りなんて答えを出すのは魚です。腕がないのか、ルアーが悪いのか、その答えは人間が出すべき答えではないと思います。でもどんなルアー渡されたって釣ってくるのがプロだ。と言われるとこのルアーで釣ることが出来ないからプロになれないのか?とも思えます。逆に言うとそのルアーを否定することは自分がダメな証拠とも思うようになっていきます。洗脳ですねこれ正しく。

 

須江庄治郎丸で釣ったシイラ

 

木で作るプラグが主だったのですが、よくわからないワイヤーベイトも多かったです。入れ食い状態の場に行かないと結果が出ない。仕方がないので釣り船に乗るようになります。バスやトラウト(ネイティブ)ではなかなか結果が出ないのです。結果が出ないと罵倒されるので、この頃から釣り船ばかりに乗るようになります。やはり比較的海は釣れやすいので。

 

月48000円のルアーの購入は独身でしたのでどうにかなります。でも正直それでは釣れないので違うルアーを他店でこっそり購入します。(だって釣りたい)船代、ガソリン代、高速代、ルアー代、生活費、働いても追いつかないのでカードでの支払いが増えていきます。そして生活がさらに困窮していくのです。

 

すでにダブルワークで人の1.5倍は少なくとも働いている状態。これ以上は働くこともできないし、そもそも釣りを仕事にできるのはいつになるんだ?と考えていた時に釣具屋の店長から独立話を持ちかけられます。『お前が社長としてウチのネットショップを開設させてやるから、そこで俺のハンドメイドルアーを売らせてやる。』

 

山中湖で釣れたバス須江物持ち

山中湖でスイングインパクトのミドストで入れ食い。普通のルアーは良く釣れたんです

 

『お前がこのルアー(自分が作ったハンドメイドルアー)を俺から仕入れて、ネットショップで売れ。ウチの看板使わせてやるから、ネットの開設料と看板料で300万円用意しろ』

 

無理。絶対無理。すでにカードの限度額いっぱいまで使うほどの生活の困窮具合。貯金なんてあるはずない。誰かに借りるしかありません。でももちろん貸してくれる人なんていない。でも断れない。

 

おかしな話ですが断れないのです。もはや洗脳されている状態。いろいろ言われ続けます。このままだと釣りで食っていくなんて無理だぞ、人生変えたくないのか、結婚したくないのか、親孝行したくないのか、周りは家庭もって立派にやってるのにな。当時僕の母が体調を崩していたのですが、そのことも言われます。母親助けたくないのかと。そこまで言われると、とにかくやらなくてはいけない状態だと思い込みます。でもお金はありません。

 

そこで店長に相談すると

『毎月仕入れとして20万円もってこい。そしたら20万円払ってる間は300万円待ってやる。』20万とはルアーを毎月仕入れる最低の額とのことでした。つまり仕入れ続けろと。

 

当たり前ですが20万の支払いなんて無理です。ついに消費者金融で借金をするようになります。ア〇ム、プ〇ミス、レ〇ク、U〇J、S〇I、借りれるところから借りれるだけ借ります。多重債務者生活の始まりです。親にも借金しました。

 

須江霞ヶ浦で釣れたバス

太ってるというよりむくんでるんです。寝不足過ぎで

 

借金を返しつつ20万を払う生活。働く量も人の2倍以上働くようになります。勤めていた電気屋さんは契約社員としてフルタイムで働くようになり、夜はスーパーに出戻りで準社員として働く生活。寝るのは本当に2日に一回でした。一応土日の日中だけは休みだったのですが、そこも日雇いで働くようになります。

 

それでも家賃も払えなくなり、光熱費も払えない。でも20万は払わないといけない。当時働く量が半端じゃなかったので今より収入は良かったのですが、それでも追いつきません。借金は膨らむばかり。もちろん限度が訪れます。

 

次は物を手放していくようになります。要らないものを売ってお金にするのです。生きていくために必要なもの以外はすべて売りました。釣り道具も全部売りました。車も売りました。何もなくなりました。でも借金と20万の支払い義務は残ってます。

 

もうやめたい。諦めたい。でも今まで何百万と払ってきたものを無駄にしたくない。もはや博打と同じ構図ですが、どうにも止められませんでした。

 

須江が持つバス。帽子DICTS

 

この頃の釣りは現実逃避の為でした。借金や支払いから目を背けたかったのです。ハンドメイドルアーはほとんど使ってません。怒られる焦点がそこではなくなったので使わなくても何も言われなくなったのです。おかしな話ですね色々。

 

いよいよどうしようもなくなった時。釣具屋を離れる決心をします。この時期はいつも、お前なんていらない、お前なんて必要ない、嫌なら来るな、あきらめて逃げればいいやん?的なことを言われていた時期です。もちろんこれは、『頑張りますから許してください!僕は店長一筋です!独立して立派になりたいんで待ってください!』的なことを言わせるための手法。わかっていても言うしかなかったのです。

 

辛かった、本当に辛かった。でも投げだすのが嫌だった、負けた気がして。でももう無理でした。最後は店長が僕にウソをついていたことがバレ、そこで信用がなくなりもういいやと行かなくなりました。ウソの中身は話が長いしくだらないので省きますが。

 

払ったお金も返ってこない。自分の物は全部売って何もなくなった。残ったのは借金と、仕入れと称して渡された未完成のハンドメイドルアー、要するに作りかけ。でももうあそこに行かなくていい、お金を払わなくていい。それだけでもう十分でした。

 

続く